2018/03/11
新潟駅から徒歩5分 「入れ歯専門外来」を持つりんご歯科医院から発信。
今日は3月11日で、日曜日なので当院はお休みです。
お休みなのですが医院に来て、来週セット予定のマウスピースと入れ歯製作のための個人トレーを製作するつもりです。
3月11日というとやはり7年前の東日本大震災の事を思い出しますね。
死者、行方不明者、そして関連死を含めるとその数は1万9千人を超えています。
それぞれに家庭があり、家族がいたのでょうがあの震災で大変なことになってしまいました。
また、津波に伴う原発事故も避難解除されずに、まだ家に帰れない人もいます。。。
震災がもたらした、影響は計り知れません。
僕はこの震災の時、亀田の歯科医院で勤務医をしていましたが、ある患者さんのレントゲンを撮影しようとして、口腔内にフィルムを設定していたときに凄い揺れを感じました。
あまりにも凄い揺れにビックリして、その患者さんも驚いて僕にしがみついたのを思い出します。
すぐにテレビを見てみると、何分後かにあの津波。。。
その津波はあまりに巨大で、家や車を飲み込んでいましたね。
逃げ遅れた人もたくさんいましたね。。。
この震災により福島県の相馬市にいる友達と後輩に連絡を取ろうとしても、なかなか取れず、それから1週間ほどしてようやく安否が確認できました。
食べ物やガソリンに困っているという報道を見て、いても経ってもいられなくなり、食料品を持って相馬市に向かいました。
その道中で見た光景は、あまりに不思議で海の中に家や車があったり、国道の上に大きな船が横たわっていたりしていました。
友達は無事でしたがずっと停電が続いていて、家の前の小学校のグランドで自衛隊が炊き出しを行っているところで、食事の配給をもらうために並んでいる様子でした。
あの光景を見てなんとも言えない悲しい気持ちになりました。
でも、幸いにしてご家族は全員無事で、元気そうだったのが嬉しかったですよ。
あの震災を見て、人の命はいつどうなるのかは誰にも解らないんだな。。。と思えました。
それならば、歯科医師として勤務医のままではなく開業医になって力試しをしてみたいと思うようになったのです。
そしてその年の9月に潰れた古い医院を買い、居抜きでりんご歯科医院を開院したのですね。
当時の僕は、経営というものが全く分かっていなかったので、軌道に乗るまでもの凄く苦労をしましたが、あの時の、光景を見て「人はいつか死ぬんだ、今、やりたいことをやるんだ。」という気持ちをずっと持ち続けられたので何とか耐えてこられたのだと思います。
今も、まだ道半ばで自分の理想とはかけ離れていますが、自分の気持ちと体力が続く限り頑張っていきたいと思います。
今日の午後2時46分、その気持ちを思い返して、震災被害者に哀悼の意を込めて黙祷したいと思います。
そして、これからも自分のできることをして大好きな東北の地を応援していきたいです。