2020/02/16
新潟駅から徒歩5分 「入れ歯専門外来」を持つりんご歯科医院から発信。
今日は日曜日で当院はお休みです。
今日はいつもの臨床とは違う話をしますね。。。
この医院は今年の9月で10年目を迎えます。
10年近く前に僕は、売りに出している歯科医院を業者の紹介で知り、買いました。
その際に、あまりその医院がどういう状況で廃業になって売りに出していたのかを調べずに買ってしまいました。
当時から歯科医院は過剰で、ましてや新潟の駅前で開業するというのはリスク以外の何物でもなかったです。
この医院は見栄えも悪く、古いビルの2階で人の導線にも入りにくく目立ちにくかったです。
しかも、買った後で知ったことだったのですが、何と廃業というよりほぼ倒産状態の歯科医院だったのですね。
そのことは、後から知ったのですが、周りの歯科医師や税理士などに聞けば簡単に解ることだったのに。。。
全くリサーチをせずに買った自分に後悔しましたし、その紹介した業者を恨みました。
その業者は、売ったと同時にこの医院に顔を出すことは全くなくなりました。
心の中で舌を出していたのかと思うと、悔しかったですね、本当に。。。
その人は、会社内の自分の業績が上がることだけを考えていたのでしょうね。
それまで、信頼をしていただけにものすごく腹が立ちました。
それこそ、開業当初は全く患者さんが来なくて、本当に暇な毎日でした。
電話が鳴ることもほとんどなく、不安な毎日を過ごしていました。
いくら患者さんが来なくても、多額の借金を抱えて開業しているため、銀行への返済やテナント料を毎月払わなければなりません。
僕は、その時、当面のお金が必要だったので、宅配業者に行って夜間のアルバイトをしました。
それこそ、夜10時から朝4時までラインという名で呼ばれたベルトコンベアに重い荷物を運ぶ仕事だったり、新潟市の各地域に送られてきた物を振り分ける仕事でした。
当時、新潟市は平成の大合併の時期で、それこそ多くの地域が新潟市に取り込まれてしまったため、その地域のナンバーも変わった矢先だったのでちょっと混乱がありましたね。
その地域ナンバーが覚えられずに違う所に、送られたものを仕分けしてしまいもの凄く怒られることになりました。。。
いわゆる上司の人は、僕よりも15歳ほど若く、時折、すごい剣幕で叱りつけられ罵声も浴びせられました。
今でもたまにその時のことがフラッシュバックしてきて、嫌な汗をかくことがあります。
涙が出るほど悔しかったですが、生活のためだと思って我慢しました。
僕は過去に歯科以外のアルバイト経験は全くなく、まさか歯科医院を開業してから40歳を超えて他業種のアルバイトをするとは思っていなかったですよ。。。
本当に、悔しくて恥かしい気持ちでいっぱいでした。
この夜間のアルバイトをして、朝起きたら医院で寝てるという、そしてたまに来た患者さんを診るという何ともちぐはぐな生活をしていました。
でも、その時はそれが自分でできる最高の「努力」だと本当に信じていたのですね。
ある日、医院から家に帰る時に、流作場歩道橋の上で妻がうつむきながら、「もう止めちゃおうか?また勤務医になってさ、診療を頑張ればいいじゃない。何も辛い宅配のアルバイトをやる必要はないんじゃない?」と言いました。
僕は、その時「ハっ」としました。
妻の口から、「止めちゃおうか。」という言葉が出てきたことがショックだったのと同時に、自分は、医院が繁栄するために何か頑張っているのかなと初めて思いました。
今まで、当面の生活のために僅かなお金を稼いできたけど、医院を繁栄させるための努力は何もしていないことに気づきました。。。
その次の日、2ヵ月間ほぼ毎日続けた宅配業者に電話をかけてアルバイトを辞め、「医院の繁栄」のために動くことを決意しました。
まず、近くの医科のクリニックに挨拶に行き、「糖尿病や金属アレルギーの患者さんで、歯科的サポートが必要ならば、当院に申し付けください。」と菓子折りをもって挨拶させていただきました。
内科とか皮膚科とか、6件ほど回りましたかね。
そして、医院を目立たせるにはどうしたらいいか考え、看板や消火栓看板などを4つほど付けたりしました。
そして、バスのコールや雑誌に掲載してもらうようにしました。
自治会をまとめる人にも会って、講演会を一般市民向けにさせてほしいとも言いにコミュニティセンターにも行ったりしました。
お金はそれほどなかったのですが、できることをやろうという覚悟を持ったら、案外何でもできました。
全ての「医院繁栄のための努力」に効果があったわけではないですが、少しずつ患者さんが増えてきた実感を得ました。
4ヵ月ほどしたら当時はパート職員でしたが、雇わなければやっていけない感じに患者さんが来ましたからね。。。
その時に効果を感じるのに多少の時間はかかりましたが、動けば何かが変わることを知りました。
今でも、それほどたくさんの患者さんが来ているとは言えない日もありますが、そこそこは来てくれていると思えます。
このことから、「努力」の方向って大切だと思いました。
あのまま、宅配業務をやっていたらどうなっていたでしょうかね???
恐らく、1年以内で倒産してたかもしれませんね。。。
だから、努力の方向ってすごく重要だと思いましたし、今でもそうは思います。
じゃあ、あの宅配のアルバイトは無駄だったのかというと、僕の中では「無駄ではなかった。」と思います。
それまで、あまりお金に困ったこともなかった自分に、お金のありがたみが解ったり、一緒にアルバイトをしていた他職種の人の話を聞けたりしたのは今でも自分の財産になっていますし、上司からものすごい剣幕で怒られ、自分の自尊心が完全に折られた経験から得られたものは小さくないです。
あの経験を得たからこそ、その人が反面教師となっており、スタッフや患者さんに今のように穏やかに接することができるとも思えます。
大学病院にいたころや歯科医院で勤務していたころの僕は、診療科講師の経歴もあって博士号も持っていましたから、少し鼻が高い感じで患者さんに接していたかもしれませんね。
結論から言うと、「物事に真剣に取り組んでいる以上、無駄なことはない。」とは思います。
直接的や間接的の違いはあっても、経験は役に立っていますからね。。。
ただ僕は、もう50歳です。
努力の方向は考えないといけないかもしれませんね。。。
でも、20代や30代の若い人にはまだまだ時間がありますね。
一生懸命取り組んでいけば、良い意味で何かの形となって自分に返ってきます。
だから、それを信じて突っ走ればいいとは思いますが、「これ、なんか違うんじゃないか?」と思えたら、勇気を持って変えることは重要です。
そのサインは、実はもう他者から送られていてそれに気づけるのかどうか、また気づいていても動けていないのかはよく考える必要がありますね。
深い考えとは逆説的かもしれませんが、僕のようにもし、歩道橋の上で妻に言われたときに感じたようなインスピレーションがあったなら、それは行動を変える時なのかもしれませんね。
適切な時にその判断ができることが、もしかしたら一番重要なことかもしれません。。。