2021/02/14
新潟駅から徒歩5分 「入れ歯専門外来」を持つりんご歯科医院から発信。
今日は日曜日なので、診療とは違う話をしますが、ご容赦ください。
皆さんは、自分の仕事に誇りを持っていますか?
楽しいと思いながら働いてますか?
僕は、この仕事が本当に楽しくて自分の天職だと思っています。
僕は、父親が埼玉県で歯科医院を営む歯科医師の次男坊として生まれ、埼玉県の田舎町で育ちました。
子供時代は実家の歯科医院はものすごく繁盛していて、父親が診療終わるたびに息を切らして「腰が痛い。」とよく言っていたのを思い出します。
子供心ながらも、歯科医師って大変なんだな。。。と思っていましたよ。
僕は幼少の頃はどちらかというと、おとなしく勉強も運動もできる方ではなかったです。
そんな状態だったので、親は勉強ができない自分を一生懸命に歯医者にしようとはしていないように感じていました。
でも、高校生ごろに親に、「お前は将来、何になりたいの?」と聞かれたときに「獣医師になりたい。」と言ったのですが、「獣医師より歯科医師になりなさい。」と言われ、反論することもできずになってしまったという経緯があります。
大学生になっても、それ程、楽しんで歯科医学を勉強した記憶はないです。
学生の頃はクラブ活動や合コンなどに明け暮れていた時期もありましたね。
そんな状態でも、何とか留年することなく最終学年になって学士試験と国家試験のための勉強をしている際に、何か入れ歯って楽しそうだなと思ったものでした。
それも総入れ歯を勉強してみたいと思ったものです。
それはなぜかというと、自分で患者さんの咬合を作るということに魅力を感じたからなのですね。
天然歯が全てあれば、神様から作られた咬合があるわけです(それが正常咬合と言えるかどうかは別ですが。。。)。
でも、全く歯がなければ、その代わりの入れ歯の咬み合わせは歯科医師の任意で設定されているわけですものね。
言い方が悪いかもしれませんが、その歯科医師によって決められている咬み合わせなのですよ。
だからこそ、難しい学問でもあるわけなのですが。。。
そのため、大学を卒業後、大学病院の総入れ歯の講座に大学院生として入局しました。
4年間、教授の下で勉強・研究し、論文を提出して博士号を取得しました。
そして、さらに大学の補綴科という入れ歯やブリッジ、冠製作の科に助手として残り、5年後に講師になりました。
しかしながら、大学は好きな入れ歯診療だけをしていればいいという訳ではなく、学生教育もあります。
なかなか研究・教育・診療を全てこなすというのは大変ですし、元々、開業医になりたい気持ちもあったので34歳で退職しました。
その頃には、結婚もしていて所帯を持っていたのですが開業できる資金はほとんどなく、高齢者が多くて入れ歯診療がいっぱいできるところはないかなと探していたら、佐渡島の病院歯科に空きがあったので、そこに行きました。
ここでは、やはり高齢者や子供が多く、虫歯治療や歯周病治療ももちろんありましたが、抜歯と入れ歯製作という流れが一番多かったような気がしますよ。
本当に予防という概念はあまりなく、いろんな治療を行えて凄く勉強になりましたし、開業するためのステップアップになりました。
そして、3年経って子供が生まれて佐渡を離れ、新潟市江南区の先輩が開業している医院に4年ほど勤務医をしてから開業医になりました。
今は開業して10年目になりますが、あの頃の入れ歯に対する情熱は今も少しも変わっておらず、入れ歯製作希望の患者さんが来院されるとテンションが上がります。
この入れ歯診療に携われる自分は本当に幸せです。
まだまだ、未熟な面はあるかと思いますが、ステップアップしてきている実感は常にありますよ。
今後もさらに努力して、良い入れ歯を提供できるように頑張りたいと思います。